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東京高等裁判所 平成3年(ネ)2082号 判決 1993年5月26日

控訴人

カーリン・浅沼・フィッシュ

右法定代理人親権者父

ハロルド・バイナー・フィッシュ

右法定代理人親権者母

浅沼良江

控訴人

ハロルド・バイナー・フィッシュ

控訴人

浅沼良江

右三名訴訟代理人弁護士

戸舘正憲

石井小夜子

若穂井透

被控訴人

渋谷富男

渋谷金太郎

右両名訴訟代理人弁護士

佐藤圭吾

主文

一  原判決中、被控訴人渋谷富男に関する部分を次のとおり変更する。

1  被控訴人渋谷富男は、控訴人カーリン・浅沼・フィッシュに対し金三〇万円を、控訴人ハロルド・バイナー・フィッシュ及び控訴人浅沼良江に対し各金三五万円を、右各控訴人に対し、右各金員に対する昭和五八年一一月三日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  控訴人らの被控訴人渋谷富男に対するその余の請求を棄却する。

二  その余の本件控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、控訴人らと被控訴人渋谷富男との関係では第一、二審を通じ、これを四分し、その三を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人渋谷富男の負担とし、控訴人らと被控訴人渋谷金太郎との関係では同被控訴人について生じた控訴費用は、これを控訴人らの負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴の趣旨

(一)  原判決を取り消す。

(二)  被控訴人らは、連帯して、控訴人カーリン・浅沼・フィッシュに対し金二〇〇万円、控訴人ハロルド・バイナー・フィッシュに対し金一八二万〇七一二円、控訴人浅沼良江に対し金一八二万〇七一二円及び右各金員に対する昭和五八年一一月三日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。(被控訴人渋谷金太郎につき請求の追加)

(三)  被控訴人渋谷富男は、控訴人カーリン・浅沼・フィッシュに対し金一〇〇万円、控訴人ハロルド・バイナー・フィッシュに対し金一〇二万八二二二円、控訴人浅沼良江に対し金四〇二万八二二二円及び右各金員に対する昭和五八年一一月三日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(四)  仮執行宣言

2  控訴の趣旨に対する答弁

(一)  本件控訴を棄却する。

(二)  被控訴人渋谷金太郎に対する当審における新請求を棄却する。

二  当事者の主張

当事者の主張及び証拠の関係は、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。但し、謝罪広告を請求する部分及び被控訴人金太郎に対し、治療妨害、不当退園、名誉毀損を理由に損害賠償を請求(右各請求は、当審における交換的訴えの変更に伴い取り下げられた。)する部分を除き、原判決一六枚目表一二行目の「本件」を「原審及び当審の」に改める。

三  控訴人らの当審における主張(被控訴人金太郎に対する請求の追加)

1  被控訴人金太郎は、被控訴人富男とともに、控訴人ハロルドと同良江との保育委託契約に基づき、訴外幼稚園における控訴人カーリンのすべての生活関係において同控訴人の生命身体に対する安全配慮義務を負担するから、被控訴人らは連帯して、控訴人カーリンに対し慰謝料二〇〇万円、その余の控訴人らに対し慰謝料各一〇〇万円及び治療費・交通費各一七万〇七一二円を支払う義務がある。

2  控訴人ハロルド、同良江は、弁護士に委任して、本訴訟を提起することを余儀なくされたが、同控訴人らは、着手金として各一五万円、報酬として各五〇万円を支払う約束をしているので、被控訴人らは連帯して、同控訴人らに対し各六五万円を支払う義務がある。

3  結局、被控訴人らは連帯して、控訴人カーリンに対し慰謝料二〇〇万円、その余の控訴人らに対し慰謝料各一〇〇万円、治療費・交通費各一七万〇七一二円、弁護士費用六五万円合計一八二万〇七一二円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年一一月三日から各支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

理由

一原判決の理由説示中、一六枚目裏一行目の冒頭から同二一枚目裏八行目の末尾までを引用する。但し、次のとおり訂正付加する。

1  原判決一六枚目裏三行目の「良江」の次に「(原審、当審)」を、同一〇行目の「金太郎は」の次に「、右伊藤教諭からは報告がなかったので、」を、同行目の「知らされ」の次に「るまで、右事故を知らなかっ」を、同一一行目の「際に、」の次に「同カーリンは、」を加える。

2  同一七枚目表四行目の「た。」の次に「被控訴人金太郎は、この事故の報告を受けなかった。」を加える。

3  同一七枚目裏二行目の「一七日」の次に「ころ」を加え、同一一行目の「第二九号証」を「第二七ないし第二九号各証」に改め、同行目の「第二七、」及び同一二行目の「二八号各証」をいずれも削る。

4  同一八枚目表三行目の「同カーリンを」の次に「午後三時ころ」を、同七行目の「原告カーリンは、」の次に「ブランコから落ちたようなことを言った(但し、後記判示参照)ほかは」を、同行目の「かった。」の次に「控訴人良江も、詳細に事故の模様を尋ねなかった。この日までは、控訴人カーリンは、元気に登園していた。」をそれぞれ加える。

5  同一八枚目裏六行目の「前認定」から同行目の「ほかには、」までを削り、同一二行目の「さつき」を「さち」に改める。

6  同二〇枚目表五行目の「ところ、」の次に「菊組の部屋で」を、同七行目の「また、」の次に「藤組の部屋で」をそれぞれ加え、同一〇行目の「さつき」を「さち」に改める。

7  同二〇枚目裏末行の末尾の次に行を改めて「この手紙を被控訴人金太郎に渡して帰ってきたときに、控訴人良江は、控訴人カーリンが目が見えなくなると言うのを聞いた(ひどい時には五、六分間位見えず、また見えるようになったりするというのである。)。」を加える。

8  同二一枚目表六行目の末尾の次に「そこで、控訴人良江は、同日、前田万里子の母である同万紗子に電話で尋ねたところ、右万里子は『カーリンは、ブランコでゴーンした。』と述べているとのことであった。」を加え、同七行目の「とは別のこと」を「をいっているの」に改める。

9  同二一枚目裏一行目の「カーリンから」の次に「『ブランコ事故は二つある。』、」を加える。

二本件事故の発生に関する控訴人カーリンその他供述などについて

1  被控訴人らは、本件事故を現認していないし、報告を受けたこともなく、園の職員から事情を聴取するなどして調査しても事故の存在を確認できなかったとして、本件事故の発生を否認する。以下に検討する。

2  控訴人カーリンの供述について

(一)  控訴人カーリンは、昭和五七年六月五日、帰宅後に前示のとおりの身体の症状を訴え、控訴人良江の質問に対しては、「ブランコから落ちた。」と告げたことが認められないではない。しかし、原審において控訴人良江本人は、「六月五日に、控訴人カーリンは、ジャングルジムから飛び下りたと言っていた。」とも供述しており(単に、そのように尋ねたら「うん」と言ったと供述するに止まらず)、控訴人カーリンが同日実際にどのように控訴人良江に言ったかについては疑問も残るところである。

原審においては控訴人良江本人は、「控訴人カーリンが、同日にブランコから落ちたと言っていたが、自分は、同人が手首が痛いと言っていたので、ジャングルジムから落ちたと思った。また、ブランコから落ちてけがをするくらいの事故なら、必ず幼稚園から連絡があるはずであるので、五月一七日ころのブランコ事故か、同月三〇日のジャングルジムから飛び下りたときのことなどかと考えていた。五月一七日から短期間しか経っていない六月五日に新たなブランコ事故が起きたとは思いもしなかった。」旨を供述する。しかし、六月五日に控訴人カーリンが一貫してブランコから落ちた旨を明確に述べていたとすれば、控訴人良江が、それにもかかわらずジャングルジムから落ちたと考えて疑わないというのは、ブランコからの落ち具合では手首を痛めることもあり得るのであるから、やや不自然であって、控訴人カーリン自身がジャングルジムから飛び下りたという趣旨の話もしたのではないかとの疑いを払拭できない。五月中の前記二つの事故などによる症状かと思った旨の供述についても、原審において控訴人良江本人は「六月五日までは控訴人カーリンは元気に幼稚園に通っていた。」旨供述しているのであるから、一週間ないし二週間も前の出来事のために、六月五日になって、控訴人良江のいうような、かなり激しい症状が急に出てくると考えるのも、あまり自然なこととは思われない。幼稚園からの連絡の点にしても、五月一七日のブランコの事故のときには、何の連絡もなかったのであるから、例え、その後幼稚園が事故の連絡の約束をしていたとしても、何らかの都合で連絡のないこともあり得るのであるから、そのことのゆえに六月五日にブランコの事故があったとは全く思わなかったというのも、いささか合理的でないと思われる。また、幼児にとっては、ブランコから落ちるというのは、必ずしも珍しいことではないと考えられるので、二〇日間位の間に二度そのような事故があっても、格別不思議ということもできない。

六月五日に控訴人良江が控訴人カーリンの話をどのように聞いたかとは別のこととして、控訴人カーリンは、同日には、本件事故について態様などその具体的な説明をしておらず、同控訴人が、控訴人ら主張のような本件事故の内容、態様などについて具体的に説明をしたのは、本件事故からほぼ一か月を経過した翌七月三日のことであった。このこと自体自然なことであるのに加えて、控訴人カーリンは控訴人良江に対し、同年一二月二五日になって初めて、「ブランコ事故は二つあった。」という趣旨を述べ、この日になって初めて、それまで本件事故の存在、態様を知るために質問を繰り返した控訴人良江も、本件事故があったと理解するに至った。このような経緯は、幼児が自己の経験をした異常な事態を母親に報告する仕方としては、通常とはいい難い。

以上のような控訴人カーリンの供述の経緯、内容に照らして考えると、控訴人カーリンが六月五日に「ブランコから落ちた。」旨を言ったこと自体は認められるにしても、その他の内容の供述(ジャングルから飛び下りたなど)もしていたのではないかという疑問が残る。そのことは、控訴人カーリンが実際に同日にブランコから落ちたかについて疑問を生じさせるものである。

本件事故に関して六月五日より後の段階における控訴人カーリンの供述を記載した陳述書や同時期における同控訴人の供述について述べる控訴人良江本人の供述があるが、そうした控訴人カーリンの供述はやむをえないことではあるが、その年齢からして、本件事故と他の事故との記載の混同、友人である他の園児の供述を知ったことによる暗示や母親である控訴人良江の質問による誘導、暗示(仮に同人が意識していなかったとしても、幼児に対する質問としてある程度避け難いところである。)を受け易いことを考慮すると、そのまま信用することができないといわざるを得ない。<書証番号略>は、昭和六三年二月二八日に、控訴人カーリンが、従来の記憶を整理して作成した書面であり、<書証番号略>は、それぞれ昭和五八年四月二八日、昭和五九年四月三日に控訴人カーリンと同良江との間になされた会話の録音を反訳した書面であるが、いずれも事故後相当日数経過後に作成されたものであり、このような観点及び控訴人カーリンの当初の供述に鑑み、右書証も、同様にそのまま信用することはできない。

(二)  なお、控訴人カーリンが描いた絵(<書証番号略>)も、以上の判示を覆すに足りないばかりか、かえって、以上の判示を補強するものである。

<書証番号略>(昭和五七年五月二七日に記載)、被控訴人金太郎本人の原審供述によれば、<書証番号略>は担任教諭が昭和五七年五月二七日「おむすびころりんすってんとん」という話を聞かせて、そのイメージを園児全員に描かせた際に控訴人カーリンが描いたものであり、<書証番号略>は、同年六月三日、園児達に蚕の観察画を描かせた際に、同控訴人が描いたものであり、同控訴人が説明するようなブランコ事故に関した絵ではないことが認められる(右両号証ともに、控訴人カーリンの名が、その下部に記載してあること、そのころ保育日誌―<書証番号略>―六月一二日の欄記載の程度に蚕が成長していることも、右の認定を裏付けるものといえる。)。

3  他の園児の供述について

(一)  淀川誠一(以下「誠一」という。)は、昭和五七年六月二五日、控訴人良江の質問に対し、前示のように腹痛でベッドに寝たときに、ブランコから落ちた控訴人カーリンと寝たと供述している。右供述内容が事実としても、同人がベッドで寝た日時は明らかではなく、証人淀川朝子の証言からも、右日時を確かめていないことが窺われるので、右日時は明らかとはいえない。同証人は、控訴人カーリンと誠一が寝たのは同年六月一一日ころ(訴外幼稚園の二十日大根掘りの日―<書証番号略>)から二週間以内位の記憶だと述べるが、六月に入ってからのことかについても分からないと供述している。さらに、同証人は、某教諭が、同証人に対し誠一が寝たことを否定する言葉を発したことがあると供述(教諭が「何もなかったね。」といったら誠一が寝たと言ったのか、教諭が「誠一は寝たと言うがそんなことはない。」と言ったのか不明である。)するが、右教諭の氏名、右会話がなされた経緯も不明であるから、右証言からは誠一が寝たのが同月五日であり、訴外幼稚園が誠一の発言を隠蔽する意図で否定しようとしたとまでは認められない。また、控訴人カーリン自身は、そのいう本件事故の日に誠一とベッドで寝たことは否定し、渋谷こうじと寝たといい、他の三人の男子の園児もこれを肯定していたのであるから、誠一は、他の日のことを述べているとも解されないではない(もっとも、<書証番号略>によると、控訴人カーリンは、本件事故時にベッドで寝たのは誠一である趣旨の記載があるが、右書面は、本件事故から年月を経た後であるとともに、本訴の提起された後である昭和六三年二月二八日付で作成されたものであり、前示のように信用し難い。)。

斎藤さちは、昭和五七年六月二五日、前示のように、「カーリンはベッドで渋谷こうじと寝ていた。ガーゼで頭を冷やされてから、カーリンは幼稚園に来ていない。」旨供述したが、右供述は、寝ていた園児は控訴人カーリンや他の園児の言うことと一致しており、控訴人カーリンは、六月五日以後は登園していないから、その供述内容は六月五日ころの出来事を供述するものと一応いうことができないわけではない。

前田万里子は、母の前田万紗子の問いに控訴人カーリンがブランコでゴーンしたと述べている(<書証番号略>、前田万紗子の証言)が、その時期、「ゴーン」の意味(証人前田万紗子は「落ちたということである。」と供述するが、その解釈する根拠についての説明はなく、右の言葉自体からは、衝突したことを意味するとも解される。)は明らかではない。

(二)  <書証番号略>(調査報告書)は、控訴人良江が、園児に直接尋ねたり、或いはその母を通じて尋ねて得た返答を記載したものであり、前記誠一、斎藤さちのほかにも数名の園児が、「控訴人カーリンは、何かから(ブランコとする園児もいる。)落ちて、ベッドで頭を冷やされた。」「その後幼稚園に来ない。」などと答えた旨の記載がある。

(三)  訴外幼稚園では、昭和五七年当時百六十数名の園児が在籍し、鉄棒やブランコから落ちたり、転んだりして小さな怪我をする園児も少なくなく(証人秋葉佳代、被控訴人金太郎本人の各供述)、控訴人カーリン自身も、前示のとおり怪我をして教諭に介抱されたこともあること、また、本件事故当時には、訴外幼稚園では、園児の間に職員室のベッドの上で遊んだりする「お医者さん遊び」がはやっており、控訴人カーリンもこの遊びをしたことがあること(<書証番号略>の五月一八日、同月二二日の各記載、証人山岸芳子、被控訴人金太郎の各供述)、誠一は、バスに酔ったなどで、ベッドに寝たことが一度ならずあったこと(証人秋葉佳代、被控訴人金太郎本人の各供述)(証人淀川朝子の証言によれば、前記二十日大根掘りの日にも寝たことが認められる。)を考えると、年少の園児らが、時間の経過とともに種々の出来事の記憶を混同したり思い違いしたりして供述することも十分考えられることである。

(四)  さらに、園児らの供述は、やむをえないことであるが、断片的であり、事実相互の関連性の把握に乏しく、相互の食い違い、記憶していて供述した理由やその正確性などについて問い質して確認することはほぼ不可能に近い。しかも、両親などの質問者の誘導や暗示を受け易く、また質問者に迎合するおそれもあるから、質問をするに当たってはこのような結果を回避するための配慮が必要というべきところ、右のような配慮がなされたことは窺い得ないうえ、本件については園児に前記の事情により記憶の混同や思い違いをするおそれが強いことが認められるから、その信用性や相互の関連性については慎重に考える必要がある。

また、<書証番号略>についても、園児やその母の供述がそのとおりであったとしても、幼少であるところから、その供述には前記のような危険を考慮する必要がある。

これらの事情を考えると、園児の前記断片的な供述のみでは本件事故を認めるには十分とはいえない。

(五)  <書証番号略>は、控訴人良江が、昭和五七年七月三日と同年九月一日に控訴人カーリンから説明を受けた事実(原判決の理由中二2の(七)、(八))について、園児の前田万里子の母前田万紗子に依頼して、同年九月一日に大鷹けいと右万里子に質問して貰った(前者については電話による。)際の会話を録音したものの反訳文である(控訴人良江本人の供述)。

<書証番号略>は、大鷹けいとの会話であるが、同児に対する質問は誘導的かつ暗示的なところが多く、同児の供述内容も断片的で曖昧というほかなく、<書証番号略>は、前田万里子との会話であるが、本録音前に同児と前田万紗子との間に会話の内容に関連して準備がなされたことを窺わせる箇所も認められないではなく、その供述内容も断片的であり、本件事故の存在を証する証拠として前記園児の供述以上に出るものではない。

4  <書証番号略>によれば、控訴人良江は、昭和五九年一二月二三日と昭和六〇年六月一四日の二回にわたり、本件事故当時訴外幼稚園の教諭であった飯田(旧姓鈴木)恵に電話したところ、同人は「カーリンが、ベッドで気分が悪いとかで寝ているのを見たことがある。」「そのとき、佳代先生と節子先生が職員室にいた。」、「他の先生も、見ているし、子供達も見ていると思う。」、「カーリンは気分が悪いとかで、お腹が痛いと答えた。」などと述べた旨の記載がされており、証人並木知子も、同人が右鈴木恵を、昭和五八年一一月二五日に訪問したが、不在であったので電話で、昭和六〇年六月一八日電話でそれぞれ質問したところ、右と同趣旨の回答をしたことが認められる。また、控訴人良江と右鈴木恵との間で、昭和五九年一二月二三日になされた会話を録音したものの反訳文である<書証番号略>によれば、同人は「何の理由か分からないが、ベッドで寝ていたのを見たことはある。」旨述べたことが認められる。

しかし、鈴木恵が右内容の供述をしたとしても、右供述は、控訴人カーリンがベッドで寝ていた日時、原因や本件事故との関連性、園児らの前記記述との関係が明らかでない漠然としたものであり、右供述をもって本件事故の存在を証するものとはいえない。

5  控訴人カーリンの「おたより」(<書証番号略>)の昭和五七年六月五日の欄には、シールの貼付がなく、当日控訴人カーリンはベッドで寝ていたために教室に入らずシールが貼られなかったのではないかとの疑いが生じるが、この点につき、被控訴人金太郎本人は、「シールは園児が自ら貼るが、貼り忘れる園児もいる。貼り忘れてあるところは、月の終わりに担任が出席を確認した上、貼っている。」旨供述しており(同被控訴人本人の当審供述)、右冊子にシールが貼られていない事実をもって、本件事故の発生を証するものとは直ちにはいえない。

三控訴人カーリンの症状と治療の経過について

1  控訴人カーリンが、昭和五七年六月五日に帰宅したときの症状及び武谷病院での治療の経過は前示のとおり(原判決の理由説示二の2の(一))である。<書証番号略>(同病院の医師の昭和五七年八月一三日付診断書)には、頭痛、頚部痛については、特記すべき理学的所見がなく、事故との因果関係不明として経過観察したものの、格別のことなく、同年六月一〇日診療を終えた旨記載されている。

2  <書証番号略>、証人和田美典の証言、控訴人良江の本人尋問の結果によれば、控訴人カーリンは、昭和五七年六月一五日防衛医科大整形外科で頚部痛、炎症性斜視の診断を受けたが、後頚部が痛いとの訴えに、淋巴節が腫れており、レントゲンを撮るも異常がないとされ、同月二八日には頚部の腫れも消退したとされた。整形外科の初診時に内科的原因が大きいとされ、翌一六日小児科の診断を受け、頚部淋巴節炎とされたが、同年七月三日外傷性後頭部痛及び頭痛の疑い、脳波異常との診断を受けた。右診断は、控訴人良江の事故の説明に基づくものである。同日同大脳外科の診察も受け、レントゲン撮影もされたが、異常所見は認められず、その後の頭部断層検査(CTスキャン)も異常なしとの診断であった。同月一七日、小児科における脳波検査結果の読み取りでは、棘波が現れる異常が認められたが、外傷性のものか本来のものか不明とされた。<書証番号略>(防衛医科大小児科医師作成の診断書)によれば「脳波異常、頚部及び頭痛」と診断され、外傷との因果関係の立証は困難との記載がある。以上のように、防衛医科大の診断による控訴人カーリンの症状は本件事故の存在を推認させるものではない。

3  <書証番号略>、証人長瀬又男の証言によれば、控訴人カーリンについては、昭和五七年八月二八日から昭和六二年八月二九日までの間に一〇回の脳波検査が行われていること、昭和五七年八月二八日の検査時には、左後頭部に限局された高圧棘波がかなりの頻度で出現し、睡眠に入ると増加し、時に全誘導に短い棘徐波結合があったこと、長瀬又雄医師は同日、右脳波所見は、控訴人カーリンが、昭和五七年六月初めころから訴えている頭痛などの症状と関係があると推測し得る旨の診断をしている(<書証番号略>)こと、昭和五八年二月一九日の第二回の検査時には、棘波の発生の頻度は減少し、症状は前回よりも軽くなったこと、その後、一時的(昭和五八年五月一四日の検査時)に広範囲に棘波が出現した(証人長瀬又雄の証言では、これは、右検査の前日に控訴人カーリンが頭部を打ったためと控訴人良江から聞いたので、そのためという。)ことがあるほか、棘波の発生頻度は時間の進行とともに減少し、棘徐波結合を自然に消失したこと、長瀬医師は、棘徐波結合は、てんかん性の症状を疑わせるが、これが自然消失したことは患者が右症状を以前から保有していたものでなく、一時期に加えられた外傷によるものであると一応の推測をしていること、棘波は一貫して左後頭部に出現しており、これは本件事故により控訴人カーリンの後頭部に加えられた衝撃による可能性が考えられるとの同医師による脳波検査から見た診断がされていることが認められる。

右長瀬医師の診断は、脳波検査の結果に基づくものであって、右検査の結果から六月五日の出来事を推認することはできないものの、控訴人良江の述べるような本件事故が昭和五七年六月五日にあったとしたら、脳波検査の結果を納得できるというものである。同医師の右診断は、控訴人良江から、控訴人カーリンが昭和五七年六月初旬から訴えた頭痛などの症状や同年七月二一日都立府中病院の脳外科で第二頚椎突起に異常があり、外傷性であろうと診断されたことを聴取し、また右府中病院医師の控訴人カーリンについて頚椎損傷との診断書(<書証番号略>)を参考にしてなされたものである。以上の判示に照らせば、右診断は本件事故の発生を直ちに推認するには十分ではない。

4  控訴人カーリンについて、<書証番号略>(都立府中病院脳外科医師作成の昭和五七年八月一九日付診断書)によれば、同年七月二一日から通院治療を受け、「頚椎損傷」の診断を受けたこと、<書証番号略>によれば、昭和五八年一月一〇日から平成元年九月二七日まで竹谷内クリニックに通院治療し、「頚椎捻挫、腰椎捻挫」、「初診時に頚椎、胸椎に回転のサブゼクセーションを認めた。」と診断されており、右事実によれば、同控訴人に右傷害があることは認められないではないが、右傷害の診断だけでは、その発症の原因、時期は明らかではないので、本件事故を証するものとはいえない。なお、<書証番号略>(都立府中病院脳外科医師水谷弘作成の昭和五七年八月一三日付診断書)には、「頭部外傷」との記載があるが、<書証番号略>によれば、主治医の青木医師が、偶々当日不在であったため、水谷弘医師がカルテに記載された控訴人カーリンの主訴(四月下旬に鉄棒から落ちた後頭部を痛がっていた。五月中旬から末ころにブランコ、鉄棒、友達とぶつかったなど。六月五日後頭部と首を痛がって幼稚園から帰った旨)に基づき記載したに過ぎないものであることが認められるから、右記載により、前記<書証番号略>記載の頚椎損傷の原因が頭部外傷であるとは、直ちには認められない。

四保育日誌等の書証としての提出について

1  原審において、被控訴人らは、第二四回口頭弁論期日(昭和六三年四月一五日)に書証として、「昭和五七年度たんぽぽ子ども観察記録」(昭和五七年四月八日から同年五月二八日までの分)(<書証番号略>)及び「保育メモ」(昭和五七年四月から同年六月分)(<書証番号略>)(いずれも、控訴人金太郎作成)を提出している。

控訴人らは、平成元年七月二一日、原審に対する上申書により、控訴人カーリンにかかる「保育記録」、「たんぽぽ子ども観察記録」(昭和五七年六月及び七月分)の提出を命じる訴訟指揮をするように求めた。

次いで、控訴人らは、平成元年一二月一一日、原審に対する上申書により、再び、控訴人カーリンにかかる「保育記録」、「たんぽぽ子ども観察記録」の昭和五七年六月及び七月分の提出とともに保育メモを記載した被控訴人金太郎作成の手帳(昭和五七年七月、一〇月、一一月分)の提出を求める訴訟指揮をするように求め、さらに、第三三回口頭弁論期日(平成元年一二月一一日)に同日付書面により被控訴人富男に対する「清瀬富士見幼稚園園長作成の園日誌」(昭和五七年四月から同年一一月分)の提出命令を申し立てた。原審裁判所の任意提出を求める訴訟指揮により、被控訴人らは、第三四回口頭弁論期日(平成二年二月七日)に、書証として、「保育日誌」(昭和五七年の四月一、二日、五月七、八、一二、一三日、六月一一、一二、一六、一七、二〇、二一、二四、二五、二九、三〇日、七月八、九、一五、一六日分)(<書証番号略>)、「保育メモ(抜粋)」(昭和五七年一〇、一一月分)(<書証番号略>)、「保育メモ(抜粋)」(昭和五七年七月分)(<書証番号略>)を提出した。

2  当審において、控訴人らは、第二回口頭弁論期日(平成四年一月二七日)に同日付書面で、控訴人富男に対する「昭和五七年六月五日分の保育日誌」(以下「六月五日分の保育日誌」という。)、「同日分のたんぽぽ子ども観察記録」、「渋谷節子作成の昭和五七年六月五日分の保育メモ」の文書送付嘱託を申請し、被控訴人らは、第三回口頭弁論期日(平成四年三月四日)において、当裁判所の求釈明に対し、右「保育日誌」、右「たんぽぽ子ども観察記録」は存在しないと答え、右「保育メモ」を控訴人らに提示した。

被控訴人らは、第五回口頭弁論期日(平成四年五月二〇日)において、当裁判所の求釈明に対し、「最初が昭和五七年四月一日で最後が昭和五八年三月二二日の保育日誌は、一つの綴りになっており、被控訴人代理人が現にここに所持している。同年六月四日五日分保育日誌は一枚の表裏に記載されており、現に右綴りの中に存在する。」と陳述し、六月五日分の保育日誌の存在及び被控訴人代理人によるその所持を認めた。当裁判所は、被控訴人らに対し、右保育日誌綴りを書証として全部提出するように求めるとともに、被控訴人らがその存在を否定した「たんぽぽ子ども観察記録」の六月五日分の存否の調査と存在する場合には書証として提出することを求め、さらに、従前「六月五日分の保育日誌」が書証として提出されていない理由を明らかにするように求めた。

3  被控訴人らは、右求釈明に対し、第六回口頭弁論期日(平成四年七月八日)において、「『たんぽぽ子ども観察記録』(六月五日分)を被控訴人らは所持していない。」と陳述するとともに、「六月五日分の保育日誌」が従前提出されなかった理由については、被控訴人代理人において「他の園児のプライバシーが漏洩されるのをおそれて、保育日誌から<書証番号略>だけを選んで提出したものと思われる。金太郎は、当審で、<書証番号略>の原本を探すように被控訴人代理人から求められ、園に見付からなかったので、もともとなかったものと勘違いして、保育日誌はないと答弁をした。しかし、被控訴人富男が本人尋問に出頭するので、右代理人から再度右原本を探すように指示したところ、被控訴人富男が右保育日誌を所持することが判明した。」旨の陳述をした。そして、被控訴人らは、第七回口頭弁論期日(平成四年九月二日)に、<書証番号略>として保育日誌(昭和五七年四月から同年一〇月分まで、同年一一月二二日から昭和五八年三月二二日までの分)が提出された。昭和五七年一一月一日から同月二一日までの保育日誌は、当裁判所の釈明にかかわらず、提出されなかった(もっとも、この間の日曜日については同日誌は、もともと存在しない。)。

なお、六月五日分の保育日誌として提出された書証には、本件事故ないし控訴人カーリンに関する記載はない。

4  控訴人らは、被控訴人らが書証として提出した六月五日分の保育日誌について次のとおり主張する。「六月五日分の保育日誌には、本件事故に関する記載がない。しかし、このように記載がないのなら被控訴人らは書証として提出する筈であるのに、右日誌は存在しないと陳述して提出せず、その後、右日誌は存在すると陳述を変更して提出するに至ったが、陳述を変更した理由について合理的な説明がないだけではなく、右の点について、被控訴人代理人の釈明と被控訴人金太郎の本人尋問における供述との間に矛盾があることは、書証として提出された六月五日分の保育日誌は改ざんされており、右日誌には本件事故に関する記載があったものと推認されるべきである。」

原審における保育日誌提出の経緯、六月五日分の保育日誌を提出しなかった理由について、本訴訟の資料の準備をした被控訴人金太郎本人は「六月五日分の保育日誌は、他の日の分と一綴りになっていた。」、「一綴りの保育日誌中、<書証番号略>として提出する分を選択したのは、自分である。全部を提出しなかったのは、他の園児や父兄に関することが記載されているからである。」、「六月五日分の保育日誌を提出しなかったのは、当時は、右の日がそんなに問題になっていなかったからである。提出したのは、園児のけがの記載がある分が多い。」旨の供述(当審)をしている。しかし、<書証番号略>は、前示のとおり、控訴人らの保育日誌の提出命令申立てにより、原審裁判所の提出勧告により任意に提出されたものであり、本訴訟の訴状において、本件事故の発生日として昭和五七年六月五日が主張されており、本件審理においては、当初から同日に事故が発生したかどうかが中心的争点になっていたのであるから、控訴人金太郎本人の右供述は容易には首肯し難く、被控訴人らは、同日分の日誌の不提出の理由についてその他納得させる説明(同日分の日誌として提出された書証には、他の園児等に関する記載はない。)をしていない。

被控訴人らは、当審第三回口頭弁論期日までは、六月五日分の保育日誌は存在しないと陳述し、第五回口頭弁論期日で、その存在を認めたものであるが、従来、右日誌がないと陳述していた理由について、被控訴人代理人は前示のように説明し、被控訴人富男本人は「その当時見付からなかったかもしれない。古いことなので記憶がない。」旨の供述(当審)をし、被控訴人金太郎本人は、「記載のないものに関しては、……表現を間違えた。」、「<書証番号略>の原本を探したが見付からなかった。園長がどこかにしまいこんでいて、自分が証言するというので探したら出てきた。」、「<書証番号略>を提出するために、昭和五七年度の保育日誌の綴りをばらして、写しを取った。」旨の供述(当審)をするが、保育日誌は、法律により作成が義務付けられているものであること、<書証番号略>は一綴りの状態で保管されたものであり、原審でその一部を抜粋して書証として提出していること、被控訴人らが保育日誌の存在に関する陳述を変更した理由は明確を欠くうえ、被控訴人ら各本人や被控訴人代理人の間でも言うことが必ずしも一致しているとはいえないことを考え合わせると、被控訴人らが六月五日分の保育日誌のあることを知らなかったと考えるのは自然ではなく、被控訴人代理人又は被控訴人各本人の右日誌は存在しない旨の従来の陳述は明らかに事実に反するし、「見付からなかった。」その他不提出の理由として被控訴人各本人の述べるところは、虚偽であったと認めるほかない。

このように、六月五日分の保育日誌の存否につき被控訴人らが陳述を変更した理由や右日誌を証拠として提出しなかった理由について、被控訴人らの説明が不自然、不合理であることに、保育日誌の性質(幼稚園における一日の保育の状況が記載され、園児のけがについての記載がされることもある―<書証番号略>の四月二六日、五月一〇日、六月一七、二〇日分など参照)を考え合わせると、控訴人らの主張するように、六月五日分の保育日誌には、もともと本件事故ないし控訴人カーリンに関連する被控訴人らに訴訟上不利益な記載がなされており、被控訴人らから六月五日分の保育日誌として提出された書証は、その点が訂正されて全く本件事故に関する記載がないものとなったのではないかとの疑いが濃いものがあり、控訴人らの主張も、もっともな点があるといわざるを得ない。

しかし、仮に、そのとおりであるとしても、六月五日分の保育日誌の本件事故に関する具体的な記載内容は明らかではないから、以上の事実があることから本件事故の存在を直ちに推認することはできない。また、本件事故の存在を相当程度推認させるに足りる程度の他の証拠があるわけではないから、右事実を証明資料として補完的に考えても、本件事故の存在が証明されることになるものでもない。

五以上を要するに、昭和五七年六月五日には、何らかの意味で控訴人カーリンの身体に異常をもたらすような事態が園内において発生したのではないかとの疑問は強く残るのであるが、その具体的内容を確定することができない。そのため、被控訴人らが右事態の発生についてどのように責任があるのかもまたこれを述べることができない。

したがって、本件事故の発生したことを前提として、被控訴人らに対し、その保育委託契約に基づく安全配慮義務違反による損害賠償を請求する控訴人らの請求(控訴人カーリンの二〇〇万円、控訴人良江、同ハロルドの各一一七万〇七一二円の請求。なお、被控訴人金太郎への請求は当審における新請求である。)は、その余の点について判断するまでもなく理由がないといわざるを得ない。

六医者への工作などの診療妨害

1  <書証番号略>、証人和田美典の証言、被控訴人富男の尋問の結果によれば、控訴人良江から、訴外幼稚園に対し、控訴人カーリンの症状について、頭痛が激しいとか、歩けないとか、目が見えないとかの電話が再三あるので、被控訴人富男は、同控訴人の病状を知るために、防衛医科大に赴き、昭和五七年六月二九日に整形外科の新名医師に、同年七月五日に小児科の藤沢医師に、同年七月一〇日に小児科の和田医師に面会したほか、同月三日にも防衛医科大に赴いていること、被控訴人富男は、和田医師に面会したとき、同医師に「控訴人良江は、家庭で公文式算数を教えている。スイミングスクールにむりやり入れている。細かい文字を読ませようとする。近所の人が見ており、こどもが可愛そうだという感想を聞いている。」趣旨のことを告げたこと、被控訴人富男は、右のことを他の園児の母から聞いて知ったが、同医師に告げたのは、控訴人良江がいう控訴人カーリンの頭痛の原因は、控訴人良江の家庭での教育にあるのではないかと考えたためであることが認められる。

2  控訴人らは、被控訴人富男の右言動により、控訴人カーリンの適切な診療が妨害されたと主張する。

被控訴人富男が、昭和五七年六月二九日に面会した新名医師は整形外科の医師であるが、<書証番号略>によれば、整形外科の診療は、同年六月二八日をもって終了していることが認められるから、同被控訴人の言動が、診療に影響を与えたということはできない。

次に、被控訴人富男が、控訴人カーリンにかかる前記の内容を、園児の母から聞いたままを、事実が否かも確かめずに小児科の和田医師に告げた行為は、軽率といえ、控訴人カーリンのいう幼稚園でのけがと頭痛との因果関係についての判断を求めて来たようであるとの証人和田美典の証言や被控訴人富男の供述する同医師に家庭のことを告げた理由を考え合わせると、控訴人カーリンの症状が、その家庭に由来する心因性のものであるとの予断を医師に与えようとしたのではないかとの疑いを挟む余地がないわけではない。しかし、和田医師は、被控訴人富男の告げたことによる診療への影響を否定しており、同控訴人の症状を心因的なものとは考えていないようであり(同医師の証言)、また、第三者からの前示程度の聞き取りにより専門家である医師の診療に影響を与えることは通常考え難いし、<書証番号略>、証人長瀬又男、同和田美典の各証言によれば、和田医師は、昭和五七年七月一〇日、控訴人カーリンを診察し、脳外科に対し脳波検査の予約、痛みを軽減するためのB12及びアスピリン投与、眼科への検査依頼をしていることが認められるのであるから、控訴人良江らから問診により知った症状を参酌して、これに相応した診療をしており、また、同医師は、控訴人良江の問診により得た外傷性の疑いの診断をその後も維持していることは明らかであるから、同医師が被控訴人富男の告げたことにより、その診療に影響を受けたとは認められない。

したがって、被控訴人富男による診療妨害を理由とする控訴人らの不法行為による損害賠償請求は理由がない。

七不当退園について

1  被控訴人富男が、控訴人ハロルド、同良江に対し、昭和五七年七月一九日到達の書面で同日をもって、控訴人カーリンの保育を委託する契約を解除する旨の意思表示をして、同控訴人を訴外幼稚園から退園させたことは当事者間に争いがない。

<書証番号略>によれば、右契約解除に当たり、訴外幼稚園から送付された昭和五七年七月一九日付退園通知書には、控訴人カーリンは、職員会議の結果、同月一七日をもって退園と決まった旨の記載があること、同月一日の保育日誌の備考欄には、控訴人カーリンを除籍する旨の記載があり、翌二日以降、訴外幼稚園の在籍園児数は前日よりも一名少ない一六四名とされていることが認められる。

2 右保育を委託する契約は、保護者と訴外幼稚園との間の幼児の教育を目的とする契約であるから、その性質上、訴外幼稚園の方から自由に解除することはできないが、他方、右契約の目的を達成するためには、委託者と幼稚園との信頼関係が維持されることが必要であるから、右目的の達成を困難にするほどに信頼関係が失われ、かつ、その原因が主として委託者にある場合には、幼稚園から右契約の解除をすることができるものと解される。

3  被控訴人らは、退園させた理由として、控訴人カーリンの月謝未納を主張する。

控訴人良江、被控訴人金太郎、同富男各本人の供述(原審、当審)によれば、控訴人良江は昭和五七年七月分、八月分の月謝を支払っていないが、これは、同年六月七日以降、控訴人カーリンが登園しなかったために、同人が訴外幼稚園から受け取った月謝袋に月謝を入れて持参して支払うという同幼稚園で採られている通常の月謝の支払い方法によれなかったためであること、控訴人良江は、同年七月二日、同年六月分の月謝を月謝袋にいれて同幼稚園に持参して支払ったが、その後、右月謝袋が同幼稚園に留め置かれ、また同幼稚園からも支払いの請求がなかったため、月謝の通常の支払期日(当該月の五日ころ)を未払いのままでいたことが認められるが、前示のとおり、被控訴人らは、既に同月一日には、内部的には、控訴人カーリンを同幼稚園から除籍する処理をしているのであるから、同年七、八月分の月謝を控訴人らに請求する意思はなかったと認められ、月謝未納は、委託契約解除の理由とはなりえないものである。

4  被控訴人らは、控訴人カーリン退園させた理由として、控訴人良江による訴外幼稚園に対する不当な抗議、保育妨害、信用きそんがあり、訴外幼稚園と控訴人らとの間の信頼関係が破壊されたことを主張する。

原判決の理由二の各事実に控訴人良江、被控訴人金太郎、同富男各本人の供述(原審、当審)を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  控訴人良江は、控訴人カーリンから聞いている園内の前記事故の状況について訴外幼稚園に事故の状況を問い合わせたこともあるし、そうしなかったものもあったが、いずれの事故も保護者には連絡はなく、問い合わせたものについても同幼稚園が必ずしも把握しておらないこともあったので、同幼稚園の園児の事故に対する処理について従来不安を感じたこともあった。控訴人カーリンが、前記の症状(原判決理由二2(一))を示し、その原因となる出来事を格別具体的に説明しなかったので、同控訴人の昭和五七年五月一七日ころのブランコからの転落などの事故が原因ではないかとも思い、同年六月一四日ころ、訴外幼稚園に対し、主として電話により園内で起きた控訴人カーリンのいう事故(原判決理由二1(三)(4)の事故)の態様などについて問い合わせたが、同幼稚園の回答は、控訴人良江のいうような事故は確認できないとの回答であった。しかし、右回答に満足しなかった控訴人良江は、幼稚園に赴いたり、他の園児の母を介したり、又は園児に直接面接したりなどして、前記のような他の園児の述べていることを聞いたりして、原因を知ることに努め、控訴人カーリンの述べたような事故があるのではないかとの思いが強くなり、幼稚園に電話や書面で照会を繰り返したものの、幼稚園はこれを全く否定したので、控訴人良江は幼稚園の態度に不満不信を募らせていった。そして、控訴人カーリンの供述に他の園児の供述を合わせて次第に本件事故があるのではないかとの疑いを持ち、この疑いを次第に強めていった。他方、訴外幼稚園は、控訴人良江の照会に対し、職員に当たるなどして事故の有無を調査したが、これを確認することができなかったため、その旨を回答したが、控訴人良江の納得を得ることができなかっただけではなく、同控訴人は、右幼稚園は事故を隠しているのではないかとの疑念を次第に深め、同控訴人の同幼稚園に対する不満、不信を益々増幅させた。

そして、そのころには、控訴人良江は、訴外幼稚園との関係で本件事故についての真相を明らかにしたいと考えるとともに、同幼稚園の園内事故の保護者への報告を徹底するように約束して欲しいと考えていた。

(二)  訴外幼稚園は、控訴人良江が、事故について多くの園児の保護者に電話等により事故の状況を聴くなどしたり、同幼稚園に電話などで事実の確認を執拗に求めることにより、訴外幼稚園に本件事故についての真相を明らかにさせるとともに、同幼稚園の園内事故の保護者への報告を徹底するように約束させようとする態度を示し、さらに、保護者の中にも、同控訴人と右幼稚園を訪れるなど同控訴人の調査に協力する者があったり、他の保護者からも右幼稚園に問い合わせが来るなどのことがあり、本件事故は控訴人良江の思い込みと考える被控訴人らは、保護者の幼稚園に対する信頼を損なうことを懸念して控訴人良江の態度に不信の念を強めていった。

(三)  控訴人良江は、昭和五七年六月二〇日ころには、本件事故の事実について明確にしない訴外幼稚園に対し、既に信頼を失った状態にあったが、本件事故の事実関係を明確にし、保護者に対し、事故を報告することを約束させた後に控訴人カーリンを転園させるかどうか決める意思であった。

5 以上の事実によれば、被控訴人らは、昭和五七年七月一日には、内部的には控訴人カーリンを除籍する処理をし、同年七月一九日、控訴人ハロルド、同良江に対し、控訴人カーリンを同日をもって退園させる旨の通知をしたものであるが、右通知より前の昭和五七年七月一日ころには、控訴人良江は本件事故を存在するものと強く主張し、被控訴人らは、本件事故を存在しないと主張し、事故があるというのは同控訴人の単なる思い過ごしと捉えるなど、被控訴人ら及び控訴人らは、本件事故の存否をめぐり完全に対立した立場にあり、既に相互に園児の保育のために協力するべき信頼関係が失われた状態にあったものということができる。

たしかに本件事故の存在については、前示のようにこれを認めるには十分ではないけれども、他方、同年六月五日には、何らかの意味で控訴人カーリンの身体に異常をもたらす事態が園内において発生したのではないかとの疑問は、今もなお強く残るのであり、前示のような控訴人カーリンの症状その他当時の状況からしても、当時において控訴人らが前示のような言動に出たことは、そこに若干の行き過ぎがあったとてしも、控訴人カーリンの両親の立場にある控訴人らとしてはある程度やむをえないところもあると考えられる。

また、訴外幼稚園は幼児の教育を目的とする施設であり、控訴人カーリンについて直ちに効力を生じさせるような退園処分を取った場合には、同控訴人にとって短期間のうちに他の施設へ転園することも困難であること(後記に判示のとおり、控訴人カーリンの他の幼稚園に入園したのは昭和五八年五月である。)など同控訴人の保育の上で支障を生じるものである。したがって、訴外幼稚園と控訴人ハロルド、同良江との間の信頼関係が失われたとして控訴人富男(同幼稚園側)が保育委託の契約を解消することが可能な場合があるとしても、そのためには、右対立関係をやわらげ、控訴人らとの信頼関係の回復に努めるとともに、控訴人カーリンを退園させることもやむをえない事態に至っているかについて控訴人ら保護者から十分に事情を聴取するなどの措置をとることが必要であると考えられる。

しかし、同被控訴人は、控訴人らや園児の関係者の控訴人カーリンにかかる事故の有無についての問い合わせ、調査の依頼にも、「控訴人良江のいうような事故はない。」などと告げたことは認められるものの、例えば、何名かの園児がいうように、同控訴人が職員室のベッドで頭を冷やして寝ていたことがあったのかどうか、その原因は何かなどといったことについても、調査の過程やその結果を具体的に説明するなどして控訴人らの納得を得るように努める行動をとったとは証拠上窺うことができない。また、退園の措置を取るに当たって、控訴人ら保護者との間で、同人らとの事故をめぐる争いの中で、控訴人カーリンの今後の保育の方法についてその意見を聴取するなどの措置を講じていない(控訴人良江本人の当審供述)。そして、被控訴人富男は、保護者の信頼を回復するためのこれらの措置に出ることなく、前示のように、昭和五七年七月一日には既に内部的に控訴人カーリンの除籍を決定し、その後、同月一九日に保護者に何らの予告もなく同日をもって退園させる旨の通知をしている。

当時、訴外幼稚園と控訴人ハロルド、同良江との間の信頼関係が既に失われていたとしても、控訴人らの前示のような言動にはある程度やむをえない事情があり、右の信頼関係喪失の原因が主として控訴人らにあるということはできないのであるから、以上の経緯のもとでされた被控訴人富男のした本件退園処分は、それが控訴人らにとって厳しい処分である(現に、控訴人金太郎本人の当審供述によれば、控訴人カーリンの本件退園処分より前に退園処分の前例はないことが認められる。)ことをも考え合わせると、結局正当な理由がなくされたことになり、各控訴人に対する不法行為を構成するといわなければならない。右退園処分により、各控訴人が精神的苦痛を受けたことは容易に推認することができるところであり、そのための慰謝料は、控訴人各自について三〇万円を相当とする。

なお、控訴人ハロルド及び同良江は、被控訴人富男に対し、退園処分により転園せざるをえなかったために要した費用として各二万八二二二円の支払いを請求するが、右費用の支出を認めるに足りる証拠はないから、右請求は理由がない。

八転園妨害について

証人羽原美知子の証言、控訴人良江本人尋問の結果によれば、訴外幼稚園を退園になった控訴人カーリンは、羽原美知子の紹介により、昭和五七年一二月に、清瀬市内の私立幼稚園のゆりかご幼稚園から入園の内諾を得ていたところ、同市内の私立幼稚園で組織する清瀬市私立幼稚園協会(訴外幼稚園、ゆりかご幼稚園は、いずれも会員である。)の他の幼稚園の園長から、同協会の会員の幼稚園が退園させた者を再び同じ協会に属する幼稚園が入園させるのは、問題である趣旨の異論が出たため、ゆりかご幼稚園は同控訴人の入園承認に消極的になったが、東京都の勧告や羽原美知子の努力により、同控訴人は、昭和五八年五月になって漸くゆりかご幼稚園に入園することができたことが認められる。

控訴人らは、被控訴人富男は、清瀬市私立幼稚園協会において、控訴人カーリンが訴外幼稚園を退園することをよぎなくされた経過を歪めて説明し、控訴人良江を誹謗、中傷するなどして、控訴人カーリンの転園を妨害したと主張し、控訴人良江本人の供述中には、これに沿う部分があり、被控訴人富男が、右協会で、訴外幼稚園が控訴人良江の問題で困った趣旨の発言をしたことがあることが認められるけれども、控訴人らを誹謗、中傷し、その結果転園の妨害となるような言動までをしたことを認めるに足りる証拠はない。したがって、これを前提とする控訴人らの請求は理由がない。

九ちらしの配布による名誉毀損行為

1  被控訴人富男は、控訴人良江を誹謗、中傷するちらしを訴外幼稚園の保護者に配布して、控訴人良江の名誉を毀損したと主張する。

被控訴人富男が、昭和五七年七月二〇日、訴外幼稚園の園長である同控訴人名義のちらしを同幼稚園の父母に配布したことは当事者間に争いがなく、右ちらしである<書証番号略>、被控訴人富男、同金太郎本人の各供述によれば、右ちらしは「幼稚園側より各ご家庭へ」と題するものであり、控訴人良江のことを「O君の母様」と匿名にしているが、その内容の要旨は、「同人から『五月六日から一九日までの間に三回頭をうってベッドで冷やされた筈です。』と六月一二日前後に問い合わせがあった。幼稚園では、調査のうえ、そのような事実はなかったと再三にわたり説明したのに、同人は、多数の家庭に電話をかけて『幼稚園はうそをついている。次は、おたくのお子さんの番ですよ。』と話している。事実無根であったことは、医者によっても証明されている。あまりにも幼稚園に対する誹謗、中傷は許しがたいものがあり、厳しい態度で望むことにいたしました。」というものであること、被控訴人富男は、多くの保護者から、控訴人良江の言うことについての問い合わせの電話があったので、真偽を明らかにして訴外幼稚園の信用を守るために、右ちらしを園児の保護者に配布したことが認められる。

2  右事実により、被控訴人富男のちらしの配布行為が、名誉毀損に当たるかを検討する。

前示のとおり、本件ちらしの配布された昭和五七年七月二〇日ころまでには、本件事故の発生を疑った控訴人良江の執拗な言動(例えば、電話、面談などのほか、同月一日ころには書面(<書証番号略>)で本件事故の発生について究明を求めている。)により、訴外幼稚園の園児の保護者から、同幼稚園に問い合わせがあるなど、保護者の間に同幼稚園に対する信用に動揺が生じている状況にあったことは容易に推認することができるから、同幼稚園としては、適切な保育を進めるために保護者に対し、調査の結果や同控訴人に対する従来の対応を明からにすることにより、保護者の動揺を鎮め、その信頼関係の維持に努める差し迫った必要があったものということができる。また、右ちらしの記載内容は、控訴人良江の告げた言葉などにやや誇張した表現は見受けられるものの、控訴人良江の言動、被控訴人側の対応などの点においては、ほぼ事実に合致しているといえる。次に、「事実無根であることは、医者から証明されている。」趣旨の記載がある点は、やや問題があるといえようが、本件ちらしの配布された当時は、控訴人カーリンに関する診断書が未だ発行されていなかったことは認められる(控訴人良江、被控訴人富男各本人の各原審供述)けれども、被控訴人らは、被控訴人富男が防衛医科大から控訴人カーリンの病状について得ていた異常なしとの回答に基づき記載されたことが認められ(<書証番号略>、被控訴人富男本人の原審供述)、防衛医科大の医師も、控訴人カーリンの症状と控訴人良江の説明からは、外傷性との疑いを持ちつつも、結局は、同控訴人の説明する事故との間の因果関係は不明としているものである(<書証番号略>)から、右ちらしのこの部分の記載はその表現がやや強い調子である嫌いはあるものの、その基本的趣旨において事実と異なるものとまで認めることはできない。これらの事情に、本件事故の存在を認めるに足りる証拠が十分ではないことを考え合わせると、被控訴人富男が、訴外幼稚園と園児の保護者との間の信頼関係を維持するために、前記内容を記載した本件ちらしを園児の保護者に配布したことは、控訴人良江の言動とも対比して考えれば、その方法、内容において不当と評価することはできないから、右ちらしの配布が、仮に控訴人良江の社会的評価を低下させる結果をもたらしたとしても、右配布行為をもって、違法ということはできない。控訴人良江の被控訴人富男に対する名誉毀損を理由とする請求は理由がない。

一〇弁護士費用の請求について

控訴人ハロルド及び同良江は、被控訴人らに対し本件訴訟の弁護士費用の支払いを請求をする。

被控訴人富男に対する本訴請求は、前記の限度で理由があるから、その訴訟追行に要した弁護士費用については、本件事案の難易、請求額、認容額その他の事情を考慮し、控訴人ハロルド、同良江のそれぞれにつき五万円をもって相当と認める。

被控訴人金太郎に対する本訴請求は理由がないから、同控訴人に対する弁護士費用の請求は理由がない。

一一結論

以上のとおり、控訴人らの被控訴人富男に対する本訴請求は、控訴人カーリンについては三〇万円、同ハロルド及び同良江については各三五万円、右各控訴人について右各金員につき訴状送達の日の翌日である昭和五八年一一月三日から各支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余の請求は理由がなく、被控訴人金太郎に対する請求はすべて理由がない。

よって、控訴人らの本訴請求は、右の限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、その余を棄却し、これと異なる原判決の被控訴人富男に対する請求を棄却した部分を右のように変更し、控訴人らの被控訴人金太郎に対する請求は理由がないから、その余の本件控訴を棄却することとし、控訴人らと被控訴人富男との関係での訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九三条、九二条、八九条を、被控訴人金太郎との関係での控訴費用の負担につき同法九五条、九三条、八九条をそれぞれ適用し、仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤滋夫 裁判官宗方武 裁判官水谷正俊)

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